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こちらは岩手県大船渡市出身の小説家・野梨原花南の記憶・体験・創作による仮想旅行記です。
「被災地」ではない各地の顔を知って欲しく開設いたしました。
楽しんでいただければ幸いです。

2011年3月26日土曜日

第四回 猊鼻渓・二


船着き場に行くと、ほぼ同時に団体さんが出てきました。
船は平たい木製で、動力のようなものは見当たりません。
あなたは列の最初に立つことが出来ました。
前のお客さんが全員おりると、長い竹竿を持った船頭さんが
「どうぞ」
と、声をかけます。
着物と菅笠の、昔ながらの船頭スタイルです。
あなたは船に乗り込みます。案外安定しています。
せっかくなので舳先に座ってみますか。
団体さんがわやわや座って、やがて船が出ます。
水面を滑るように船が進みます。
少しすると、車の音がきこえなくなります。
両岸に切り立った白い崖。
水の流れる音と風の音。梢の揺れる音が崖の間に反響し、天に抜けていきます。
奇岩の案内を船頭さんが、枯れたいい声でしてくれます。
竹竿一本で、船は渓流を上がります。
進んで行くにつれて、空気がかわります。
人のいない、深山幽谷の気配です。
緑の息づかいがきこえるような、その間の動物たちの視線を感じるような。
花がたくさんさいています。
白い崖を彩る白い山桜や黄色の山吹、そして可憐に下がって揺れる薄紫の蔓の藤。
そしてそれらの影が揺れる白い崖。
団体さんの歓声につられて水の中を覗くと、魚がたくさんいます。
「あら昔は鯉がいなかった? 錦鯉。綺麗だったのに」
誰かがいって、船頭さんが答えました。
「綺麗だったんだけんど、不自然でめぐせえってことで別のとこに移したのす」
めぐさいとはおそらく目腐いと書くのでしょうね。
みっともないとか美しくないとか、そういう意味です。
美意識の有り様を示す良い言葉だと思います。
でも
それはそうかもしれないけれど、この美しい渓流に錦鯉の群れは、ゴージャスだったんじゃないかなとあなたは思うかもしれません。
あるいは、確かにこの日本の渓流には山女や岩魚こそがふさわしいと思うかもしれません。
白い首の長い鳥が飛びます。
あれは鷺だねとだれかがいいます。
いろいろな鳥が鳴き、飛び交います。
水音。

やがて船は、渓流の奥にたどり着きます。
桟橋があって船を下りると土産物屋の様な小さな建物があります。
「うん玉」と書かれています。
中を見るとマスに区切った容れ物がありそこに、寿、とか運、とか書いた小石大の焼き物が入っています。
五個百円で、なかなか可愛らしい焼き物です。
渓流の向かいには穴が開いていて、あそこに投げて入ると願いが叶うと船頭さんは言います。
イッツ・アミューズメント!
がんばってみてください。


さて、下りです。
船頭さんが歌い始めます。
朗々とした声が、崖に弾けて天に昇ります。崖の前に立つ細い木が、影を落として風に鳴ります。
桜の花びらが舞い散って、水面と、貴方の顔に落ちかかります。
およそ一時間と少しで船旅は終わります。
さて、正午の船に乗りましたので、一時間と少し船旅をして
今は一時、そうですね15分です。

さて、時刻表を確認してみましょう。
「ブッ」
次の列車は3時15分です。
大船渡線は、基本一時間に一本な上に、この時間は通勤通学が少ないので、
、三時間に渡って電車がないのです。
近くに紙漉き館というナイススポットもありますが、
まぁせっかくエアトラベルなので二時間時計の針を進めましょう。


駅に電車が到着しました。
河原で読む文庫本もなかなかおもしろかったし心地の良い体験でしたよね。その辺の公道もうろちょろしましたし。
3時ともなれば、太陽光は金色です。
白い雲の上からの光が、斜めです。
すでに夕方になる気配です。
あなたは、なんとなく雲をながめます。
存在感のある、陰影のはっきりした雲です。
やがて電車がやってきて乗り込みます。席がひとつ空いていたので座ろうかなと思いますが、女子高生三人の席の一角でちょっと迷います。
が、
女子高生が少しずれて席を空けてくれました。
「す、すみません」
あなたは恐縮しつつ席に座ります。
発車のベルが鳴って、電車が発車します。
女子高生たちはおばちゃんたちよりずいぶんゆっくり話をします。
「ゆき。こないだの」
「うん」
「あれな」
「はい」
「ニノの記事のってたよ」
「え、嘘。見せて見せて」
なんだかよくわかりません。
「ニノでねぇべ二宮君って言え」
訛っていますが、激しくはありません。
女の子たちは、おばさまがたより大人しいようです。
あなたは風景が見たくて、窓の外を見ようとします。
すると、窓側の席の女子高生が言いました。
「どこまでですか?」
「あっ、え、盛、です」
「あっそしたら私気仙沼なんで。席代わりましょう」
断るヒマもなく席を移動しはじめられ、あなたは慌てて動きます。
席を交換して落ちついたところで、あなたは
「ありがとう」
と言います。
女子高生は照れくさそうに笑います。
「いいえ。どっからですか」
「東京からです」
「えーいいなー」
「いいなー」
「いいですかね」
「いいですよー。こっちあれですよ、テレビ局少ないし」
「めんこいテレビとか、名前どうなのっていうね」
「ねぇ。はずかしいよね」
「いいともが四時からだし」
「そ、そうなんですか」
「私、大学は東京行きたいんですよね」
「やっぱ東京いいよねー」
「一回住んでみたいよねー」
そんなもんなんだ。
ちょっと感心して、少し話して、貴方は車窓を見ます。
風景はいよいよ夕暮れの光りに照らされて、影を長く薄くし、陰影をつけています。
黄色い帽子とランドセルの子供たちが歩いています。
軽トラックも走っています。田んぼはいよいよぎらぎらと光り、田んぼに囲まれた屋敷森の家も見えます。そういう家の近くには小さな墓地と、鳥居が見えます。
桜が散って花吹雪になります。
冬は、白と黒だけの世界です。
雪は幾重もの紗の様にのんのんと降り積もります。
雪が積もって晴れ、風が強い日には地吹雪も起こり、一歩も歩けなくもなります。
真っ白な世界にただ、太陽だけが遠く輝く、それは透明な石の中に閉じ込められたような、そんな不思議な気分になります。
晴れた日の日没後には、残光で雪が真っ青に染まるブルーモーメントが頻繁に見られます。
真っ青な世界に、裸木の繊細な影。
星はまだ輝かずに月ばかりが浮く景色は絵本そのままです。
夏はコントラストの強い色彩、青い空、白い雲、白い道、黒い影、乾く、茶色の土、黒いような濃い緑。
秋は、錦秋の一言に尽きます。
やがて、列車は気仙沼に到着します。
時刻は16時9分です。
ここで、半数ほどが降りていきます。
女子高生たちも降ります。
開けられた扉から、少し、潮の香りがします。
ここで降りて、唐桑半島を観光するのも、フカヒレを食べたり、鮫革の加工品を冷やかすのも楽しいですが、今は先を急ぐとしましょう。
停車時間は一分です。
乗客たちが乗ってきます。
「あれ」
声をかけられ、あなたは視線をあげます。
「あっ」
一ノ関からの電車で会った、おじさまとおばさまです。
ほかのおばさまたちはおられません。
「チェ・ジウ」
ついあなたは呟いてしまい、おばさまが照れます。
「あらやんだ。とうさんがいけねぇんだよ」
「チェ・ジウでねぇ。チェ・ジウよりめんこいんだ」
「やめでけらい。あー。ほら、とうさん座らいや」
「はいはい。そこ、いいがしら」
聞かれて貴方は頷きます。
「はい。あの、猊鼻渓良かったです」
「ああ、んだべ。いいんだ」
おじさまは貴方の向かいに座って笑います。
おばさまは、荷物を空いている席に置いて、おじさまの隣に座ります。
「おらど、気仙沼で用足しして帰るどこだ」
「え、どちらなんですか、家、住んでる、えー」
「高田だ」
「高田」
「陸前高田。あんだ盛に行くってだが。宿あんのすか」
予約とかしてませんね。
「え、ま、ホテルとかあるんじゃないですか」
盛駅付近にホテルはありません。旅館はあります。朝ご飯がおいしいそうです。
「かあさん、いいべか」
「いいですよ」
おばさまはにこにこしています。
「ほんだら今夜は、おらいに泊まらい」
「は?」
「ほんで明日は盛の知り合いに話しすっからそこに泊まらい」
「は?」
「夕飯、魚食べらいや」
「は?」
「うんまいぞー。高田の魚。汽車着いたら高田松原歩いてらい。車持ってくっから」
「あんだ荷物どうすんの」
「斉藤さんどこに置かせてもらうべ」
「ああ、ほんだな」

決まってしまいました。


続く。