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こちらは岩手県大船渡市出身の小説家・野梨原花南の記憶・体験・創作による仮想旅行記です。
「被災地」ではない各地の顔を知って欲しく開設いたしました。
楽しんでいただければ幸いです。

2011年4月9日土曜日

第五回 陸前高田市


電車は止まり、おじさまとおばさまが降ります。
「あんだ荷物一個持ってけらいや」
「あ、はい」
おばさまが紙袋をひとつ差し出しあなたはそれを受け取ります。
つられて降りました。背後で扉が閉まります。

いいのかな。

「こっちゃ来」
おじさまが呼びます。
「はい」
あなたは自分の鞄と紙袋を持ち、駅員さんに切符と整理券を渡して駅を抜けます。
平たい駅舎で、土間のような床にベンチが置いてあり、壁にたくさんの県内観光ポスターが貼ってあります。夏には大船渡市で市民祭りがあるようです。
小さな、古い木造の駅舎です。
と書かれたゲートを抜けると、視界が開けます。
あまり人気のないロータリーに、銀と青色のバスが止まっています。駐車用なのでしょうか、地面に区画が区切られています。
ロータリーには背の高いコンクリートのオブジェと三角形の時計塔が置かれた植え込みがあり、その向こうには商店街があります。
なんだか、空がひろいです。そろそろ夕方ですね。
「あんだー」
おじさまとおばさまが少し離れたところで声をかけます。
あなたは急いでそちらに向かいます。
なんの説明もされずにあなたは後ろについて歩き、ご夫妻は二人で話をしながら歩いています。
少し歩いて、民家の門をご夫妻はくぐります。
あなたは何となく着いていきます。
立派な庭を過ぎておじさまが、玄関をがらっとあけます。
「もーしー」
鍵とか!
と思いますが、更におじさまは、靴を脱いで上がります。
「いねーのすかー」
いいの!?いいの!?と思っておばさまを見ますが、おばさまは別に慌ててもいません。
貴方の様子に思い至ったように笑います。
「田舎だからね」
それでいいの!?
「あら村上さんおかえり。ドバイなじょよ」
ドバイはいかがでしたか。
「はぁまず、勉強になったよ。んで、車持ってくるから、荷物置かせてけらいや。あど、東京の人ナンパしたのや。松原みせっぺど思って」
「あらぁ」
家の奥で、黒いほど日焼けしたおじさまが顔を覗かせ、貴方の顔を見ます。
貴方は会釈をします。
おじさまが歯のぬけた口で笑います。
「東京から。そう。自転車貸すがらやい、松原見てこ。あど道の駅で浜焼き食べらいな。暗くなったら戻って、夕飯、ここで食べらいよ」
「は!? いや、あのそんな!」
「イヤ俺漁師なのす。魚、うんめぇぞ。おらえのかあさん料理うめぇべし」
「うちに泊めるからよ」
「はいはい」
なぜ勝手に決められていくのでしょうか。
あなたは疑問に思いますが、漁師の魚は食べてみたいところですね。
おばさまに視線を転じると、おばさんはさっさと上がり框に荷物を置いて、勝手に人のうちの自転車を引き出してサドルを調整していました。
「乗ってみてけらい」
「はい」
チェ・ジウよりかわいいひとのいう言葉にはさからえません。
乗ってみると丁度いいです。
「道はさっきの交差点まで戻って、道カーブしてっから、そのままいって、でっかい道に当たったら左さ。後まっすぐいったらなんとなぐわかるからね。ここは松栄丸んとこって訊いたら、年寄りみんなわがるからよ。はいいってらっしゃい」
チェ・ジウよりかわいいひとのいう言葉にはさからえません。
あなたは自転車をこぎ出します。
やっぱり空が広いです。
人気はそんなにありませんが、学生達が楽しげに固まって道を歩いて行きます。
大きな家と、立派な庭が目立ちます。
大きな道に当たると車の交通量が多い、立派な道でした。
見慣れた店名もあります。
エネオスやローソン、二階建ての大きな薬屋も。
地方都市のおもむきです。
そしてあなたは気がつくでしょう。

この街、やたら真っ平らだな。

あまり激しい起伏がありません。
背後を見ればそそり立つ緑濃い山はあるのですが、市街地は平地です。
自転車を漕いでいくと、本当に空に何も見えません。
国道から信号を渡り、両側が砂利敷きの、灌木の植わった場所に来てあなたはその理由に気がつきます。

海です。

すこし走ると、大きなコンクリートの壁があります。
傾斜が着いて、四角いへこみが板チョコのように作られたものです。
階段もありますが、開けられている門に行ってみましょう。
大きな鉄扉があります。丸太のような閂も。
「この扉は津波の時に閉まります」
そんなことが書いてあります。

なにこの要塞。
ちょっと驚きながら、あなたは水門をくぐります。
松林です。
波音が、遠く響いています。
夕暮れの光量は少なく、林の中はすでに少し不安なくらい薄暗いです。
足下がふわふわします。
湿った松葉の香りがします。右を見ても、左を見ても、松です。
波音に引かれていくと、林を抜けました。
海です。
茶色の砂浜が広がっています。
夕焼けの空に、海はあまり綺麗にみえません。
灰色のような、鉄色の様な海です。
あなたはちょっと好奇心がでて、少しだけある草地を踏んで砂浜に向かいます。
「うわ」
砂浜は思っていたより柔らかく、ゴミもあるし乾いて縮んだ海草もあって、浜辺はあまり綺麗ではありません。
それでも近寄っていくと、穏やかな波音と、引いていくときに波が小石や砂をカラカラ鳴らす音がきこえます。
残る音は立った泡が弾ける音です。
貴方は履き物を脱いで、靴下を脱ぎ、おそるおそる波打ち際に行きます。
足をつけてみます。
ビリビリするくらい冷たくて、水は思いがけないほど透明です。
足下の砂が引き波で攫われると、ふしぎに不安定な感じがします。
ふと振り向いてみると、黒松の巨大な林が、まるで護衛兵の様にのっそりと立っています。
鴉が鳴き交わして、松の上を飛びます。
夕暮れの薄青い空が、薄い雲を流して光を失わせていきます。
「うお!」
唐突に高い波がきて、貴方の膝裏までを濡らしました。
引き波の力は強く、貴方は慌てて走って水から抜けます。
「……っくりした! あっ靴靴」
ぎりぎりで助かった靴を、濡れたままの足で履いて、寒さに震えながら貴方は松林に戻ります。
松林の中は重たい暗闇がはびこっていて、すこしこわいようです。
自転車のあるところに行き、急いで帰ります。
道の駅には寄りませんでした。



続く。